源平の人々に出会う旅 第2回「京都・祇王寺」

祇王寺
 都に祇王・祇女という白拍子の名手がいました。清盛は祇王を寵愛していましたが、ある時、仏御前という名手が現れ、祇王の取りなしで清盛に舞を披露しますが、清盛は仏御前に心を移し祇王を屋敷から追い出してしまいます。最終的に祇王は出家し、妹祇女、母刀自と共に嵯峨へ移り、庵を結びます。

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祇王・祇女・刀自供養塔と清盛供養塔】
 このことに心を痛めた仏御前は、清盛の目を盗んで屋敷を抜け出し、出家して祇王の許を尋ねます。祇王は仏御前の気持ちを受け入れ、四人で仏道修行に励み、往生を遂げるのです。祇王寺には祇王母子・仏・清盛の木造が安置されているそうです。境内には祇王母子と清盛の供養塔があります。栄花を極めた清盛の傲慢さをあらわすエピソードなのでしょう。

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 仏御前は加賀国(石川県)出身と伝わることから、北陸地方に仏御前伝説が点在しています。滋賀県野洲市にある「祇王井川」は、祇王が土地の人々のために築いた用水路と伝わっています。なお、岡山県総社市にも、清盛の寵臣妹尾兼康が築いたという湛井十二ヶ郷用水があります。岩手県平泉町には藤原秀衡の家臣照井高春が築いたという照井堰用水があり、源平ゆかりの人々に用水路の開削伝説が多いのは興味深いところです。

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 〈交通〉
祇王寺:JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅京福電鉄嵐山駅下車、徒歩20分

                         (伊藤悦子)

イノベーション

劇的に進歩したものを野菜・果物類で挙げるならば、菠薐草と金柑だと思います。子供の頃の記憶とはまるで別物のよう!殊に「縮み菠薐草」の名前で店に出ているものはアクがなく、新しければそのままサラダにできる。かつて親から「好き嫌い言うな」と叱られて、べそをかきながら食べた野菜とは思えません。あのポパイの漫画も、菠薐草嫌いの米国の子供たちのために描かれたと聞きましたが。

「皮ごと食べられます」というキャッチコピーに、半信半疑で金柑を買った時も衝撃を受けました。昔、金柑はシロップで甘く煮なければ食べられない、野性的な果実だったのに。たしかに果皮は薄く、まるごとの甘さと香り―嬉しさのあまり播いた種子は殆ど全部芽が出て、このままでは我が家は金柑の並木に囲まれる、と思ったのですが、何故か実がつくまでは育ちませんでした。

見かけは同じでももはや中身は昔と違う!ほかにもありそうですが・・・技術革新はどの分野でもめざましい。

太平記の論

和田琢磨さんの論文「乱世を彩る独断―『太平記』の天皇たち-」(『東洋通信』53:6)を読みました。太平記は序文に、名君と良臣によって国は保たれる、という、これから語る物語の枠組を示しているにも拘わらず、登場する天皇はすべて、臣下の意見を聞き入れず、私心私欲を差し挟み、独断で物事を決するところがあり、これが乱世を継続させた一因と語られている、と指摘しています。ちょっと意外な指摘のように見えますが、太平記が決して天皇賛美一筋では無いという読みは重要です。尤も、後日に失敗となる決断を敢えて決める役は天皇に振るしかなかったのだ、という言い方も可能で、その方が歴史文学の本質を抉る作品論へ向かって行けそうな気もするのですが・・・如何でしょうか。

太平記は戦後しばらく研究が敬遠されていた期間があり、今年あたりから、太平記研究の枠がひろがり、彩りゆたかになることを希っています。

実生の桜

冬の間に桜の枝皮を煮出すと桜色の色素がとれるという話を染色の専門家が書いていました。もう、木は準備万端なのでしょうか。我が家の鉢には1・5mくらいの桜の木が植わっています。歩道柵の釣り鉢に芽生えた桜が不憫で、こっそり雛菊の苗と植え替えたのです。1年目は元気よく、紫陽花くらいの大きさの葉が出揃い、ぐんぐん伸びました。毎年待っているのですが未だ咲きません。桜は鉢植えでは咲かない、と笑う人もいるのですが、謡曲「鉢木」にもあることだし、と待ち続けています。近所で伐られた染井吉野の形見だと思っていましたが、染井吉野の実は芽を出さないという説を知ってがっくり。ちょっと離れた小学校にある大島桜かなと期待しています。

高畠華宵の月

寒さは厳しくても日脚が延び、残照から黄昏にかけての空に、早春への期待を感じます。遅くなった買い物に出ると、宵の明星と三日月が藍色の空に鋭く金線を象眼していて、私はこういう三日月を、ひそかに「高畠華宵の月」と呼ぶことにしています。子供の頃、従姉たちからのお下がりの少年少女文学全集や雑誌「幼年倶楽部」の挿絵で、この画家に夢中になりました。伝記を見ると、彼にとっては失意の時代だったようですが、私はその当時も一世風靡の画家だとばかり思っていました。耽美的だが清潔感の(やや冷たさも)ある画風でした。殊に印度の姫君などの絵は、挿絵そのものがそれだけで物語でした。背景にはよく三日月や異国の塔や薔薇の花が描かれていたのです。

文系大学院生の奨学金

平成29年度の公益信託松尾金藏記念奨学基金の公募が始まりました。今回から、ウェブ上で募集要項を見たり応募書類の様式を入手したりすることができるようになりました。大学推薦ですので、応募を希望する学生の方は、4月から所属する大学院事務室に御相談下さい。

これまでどういう分野、どのくらいの水準の採択があったかについては、募集先の各大学に、事業報告書を兼ねた論文集『明日へ翔ぶ―人文社会学の新視点』(風間書房)1~3巻をお送りしてありますので、参照して下さい。来たる3月19日の明翔会第2回研究報告会に参加して卒業生に遇うのも一案です。給付型ですが、他の奨学金との併給はできません。また1年ごとに継続審査があります。

募集要項等は「公益信託 三菱UFJ信託銀行」で検索して、MUFJのHPを開き、「公益信託募集案内(奨学金、研究助成等)」のコーナーをご覧下さい。実務は同銀行本店リテール受託業務部公益信託課が扱っております。

 

白拍子

研究会で落合博志さんの発表を聴きました。タイトルは「白拍子と中世文学」。白拍子という芸能が実際どういうものだったのか、中世文学にはどのように登場するかを、例によって博捜した資料を駆使して、お話し下さいました。

落合さんはレジェンドの人です。買い集めた木活字(大変な貴重品です)を、都指定のゴミ用ポリ袋にざらざら入れて母校に持参し、学生に触らせながら書誌学を講義した、という逸話があります。落合さんのお話は無理しても聴きに来ないと、20年、30年は書いて貰えないから、と始まる前に囁き合いました。平家物語の成立論をひっくり返すほどの資料を発見しても、なかなか論文に書いてくれない。単著も出してくれない。今回の発表も、20年前の宿題をこの場で、という前置きから始まりました。