白河

学部2年の夏(昭和39年です)、奥の細道一周旅行に出かけました。「この指止まれ」で集まった、同級生9名というがやがや集団です。初めての自由な集団旅行だったので、新奇な体験(それぞれ異なる家庭のしつけを目撃した)の連続でした。

当時は、東北本線は未だ一部蒸気機関車でした。トンネルに入る時は慌てて窓を閉めたり(勿論、空調はない)、黒磯は電流切り替えのため停車時間が長かったりしました。白河関はもう夕暮れで、ただでさえ薄暗い木立の中に、ひっそりと歌碑が並んでいました。梅雨明け前の土砂降りに遭い、旗宿の民宿に入った時は靴まで水浸し。しっかり者の嫁さんがやっている民宿の大座敷に、雑魚寝しました。民宿というものが始まったばかりの頃です。夕食に蓴菜が出たのが珍しかったことを覚えています。

朝は、梅干しに砂糖を掛けたものと朝刊と牛乳が出されました。当時、旅館に泊まると、朝一番に番茶と梅干しに砂糖・醤油を掛けたものが出されたのですが、お茶でなく牛乳1本がついてきたところが福島らしい。出発しようとしたら、みんなの靴に新聞紙を詰めて乾かしてありました。お姑さんらしいお婆さんが、「昨日、干そうとしたら嫁から余計なことをするなと叱られた」と漏らし、私ははっと胸が詰まりました。でも、お嫁さんはお姑さんと並んで、私たちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれました。

白河の関にかかりて旅心さだまりぬ」と芭蕉も書いています。白河関は、中古・中世の歌人にとっては特別な「聖地」でした。しかし武人たちにとっては、都人のイメージした僻地、異域への入り口とはまた別の意味をもつ土地でした。渡邊裕美子さんが花鳥社のHPに、「みちのくの歌」と題して書いています。  https://kachosha.com/

軍記物語講座第1巻『武士の世が始まる』の編集が、起動しました。