尊敬用法の「る・らる」

吉田永弘さんの「尊敬用法の「る・らる」の位置づけ」(「國學院雑誌」9月号)を読みました。「公尊敬」とか「主催」とか、見慣れぬ用語が続出して、緊張しながら読みましたが、吉田さんはいつも、メリハリをつけて要点をつかむのが巧い人。その主張の骨子はよく分かりました。

古典語の助動詞「る・らる」は学校文法では受身・尊敬・可能・自発の助動詞と教えられますが、尊敬の用法は、上代には見いだされないため後出の用法とされ、その発生過程が問題となっており、従来の説ではこの語の用法に偏りがあることが十分説明出来ないとして、吉田さんは「主催者・責任者」を主語とする「主催」という概念(「尊敬」の主語は「行為者」)を立てて説明しようとしています。従来の「一般尊敬」「公尊敬」という分類は、「尊敬」(主体の直接的行為)と「主催」(他者を通した行為)という項目に置き換えることができ、「主催」の主語が行為者と読み替えられることによって「尊敬」が派生したのだというのです。つまり「る・らる」はそれ自体は「非意志的実現」を表す形式であって、①主体の行為として事態が実現する場合=自発・可能 ②主体の行為としてではなく事態が実現する場合=受身・主催 とに分けられる、というのです。「主催」という用語にいまいちひっかかる気がしますが、観点は面白い。

古典の面白さを解るようになるには、助動詞に強くなること、とずっと教えてきました。日本語の微妙な感情は助動詞や終助詞で表されることが多く、現代語にないニュアンスを伝える助動詞を理解できれば、世界が多層的になるからです。吉田さんのこの論文は、用例や先行研究を一々点検して述べるなら単行本1冊になるくらいの内容でしょう。そのため少々早口で喋っているような感じを受けますが、力作です。