越前だより・金剣宮篇

福井高専の大谷貞德さんから、金沢工業大学を訪ねた帰りに、金剣宮に参拝してきた、と写メールが来ました。【周辺は熊の目撃情報があり、びくびくしながらの参拝となりました】とのこと。

白山七社のうち金剣宮

金剣宮は白山市にあり、源平盛衰記では巻4と巻29に出てきます。覚一本では巻1「鵜川軍」に当たる箇所ですが、安元2年に後白河院の側近西光の子師経が加賀の目代になり、白山末寺と悶着を起こしたことから、白山中宮の関係する寺社が決起して神輿振(みこしぶり。神輿を担いで怒鳴り込む示威運動)に及び、比叡山を巻き込んで大騒動になる、その際に安元3(1177)年2月6日から10日にかけて滞在したとされています。源平盛衰記には「嵯峨天皇御宇弘仁14年に此所に祝奉りて350余年也。本地は倶利伽羅不動明王也。魔王と威勢を争て、邪見の剣を吞給ふ」とあります。

金剣宮本殿

同じく源平盛衰記巻29では、倶利伽羅合戦に勝利した木曽義仲が一息ついて谷底を見下ろすと、いきなり火炎が立ち上り、調べさせると金剣宮だったので感激し、鞍置馬20頭を奉納した、とあります。「白山七社の内、妙裡権現の第一の王子に御座(おはします)。本地は倶利伽羅不動明王也。国土を守り魔民を降さん為にとて、弘仁14年に此砌に跡を垂る」と説明しています。

間もなく越路には雪が来るでしょう。加賀の白山の冠雪は遙か遠くからも見え、旅人たちの目印になった、と聞いたことがあります。雪の来る前の時季は、人も動物も忙しい。人里では冬の貯蔵用に農作物や魚介類をそこら中に干し、動物たちは冬眠に備えて栄養を蓄えようと歩き回ります。やがて突然、夜中の雷ー日本海側では「鰤起こし」と呼ばれる、冬を告げる雷鳴です。