五輪の開会式などで行進しながら、貴賓に向かって顔を挙げ、胸に手を当てる仕草は見る者を感動に誘います。リズムある集団行動と昂揚に満ちた若さのせいでしょうか。
カーキ色の集団が一斉に向けた顔、顔、顔。軍帽の下には、一昔前の日本の農村で見かけたような、日に焼け、頬の赤い、少年から青年になったばかりの面影がそこここにありました。TVニュースで視た某国の軍隊です。遠いロシアへ、約1万2千人の派遣が決まったという。すでに2600人が戦地に到着しているとの報道もあります。彼らは自分たちの明日の運命を知っているのでしょうか。9月のロシア軍1日平均死傷者数は、1271人という。
何故、自国の若者たちを他国同士の紛争の捧げ物にするのか。外交や軍事技術に関する国家利益のためらしいのですが、彼らは自分たちが何故異国で戦うのか、大義を持ち得ているのでしょうか。80年前の日本を思わずにはいられません。あの時も未来ある(はずの)若者たちが空へ、海へ、突撃していきました、無理矢理自分を納得させて。引き返せない出撃でした。
同じ民族の分断国家は、対するウクライナ側に武器弾薬を送るという。同朋の造った弾丸に撃たれて死ぬこともあることになります。もっとやりきれないのは、ウクライナ側が投降を呼びかけ、SNSに捕虜収容所で出される食事の画像を載せている、という記事でした(朝日新聞朝刊「時時刻刻」2024/10/25)。米と肉や野菜の1片を盛ったアルマイトの皿が積み上げられていました。彼国の慢性的食糧不足を思うと、やるせない。
いざという時、国家は民を人としてでなく員数としか見ない、強者に差し出される贈り物として。紅顔の青年たちには母があり、妹や同級生や恋人や若妻がいるはずですが。