夫婦別姓を推進するか否かを、ジェンダー問題に進歩的かどうかの物差しにするような論調には、苦笑します。というのは、つい数十年前まで、適齢期をちょっと過ぎた女性にとって、姓が変わっていないことは一種の社会的引け目だったからです。同窓会名簿に(旧姓○○)と記せないと何となく肩身が狭い、という話もありました。離婚しても元夫の姓のままにし、結婚してない人とは違うのよ、と言った級友もいました。結婚式のバージンロード、素敵なようだけど、要は男の手から男の手へ引き渡される儀式ですよね。
女の子にとって改姓は、父親の柵囲いから脱出した証しでもあり、私にもそういう憧れがあった一時期がありました(少なくとも結婚後の姓は2人で話し合える)。高校のクラス会でそういう話をしたら、激しく反論されたこともありましたっけ。
世の中は変わったんですね。家父長制度はもはや実感ではなくなったのか。現代の女の子たちは、自分の姓を自分自身に基づくものと、ずっと感じて育ってくるのでしょうか。子供の間は護られていたんだと気づくのは大人になってからで、早く大人になって自分の稼ぎで生きていきたいと考えていた私は、風変わりだったのかしらん。
いま夫婦別姓制度に反対する理由はさまざまでしょうが、そもそも戸籍制度の見直しが必要な時代になっている、というのが私の考えです。本ブログにも何度か書きました。別姓を女性解放、人権問題の象徴であるかのように言う人たちは、日本の社会制度が強固な戸籍制度の上に成り立っていることを、視野に入れて主張しているのだろうか。戸籍制度の抜本的見直しまで(それは相続や扶養の問題にまで拡がる)、意識しているだろうか。そういう角度からの念押しは、されているのか。
ごくごく素朴な感慨です、別姓制度への賛否よりも遙か手前の。