福井高専の大谷貞徳さんが、大阪府立中之島図書館へ調査に行ってきた、と写メールを送ってきました。1904年に豪商住友が建てた洋館です。【建物の外側は改修されたところもありましたが、中は当時のままのところもありました。そろそろ学校も後期の準備で会議などが増え、今夏の調査旅行はこれが最後になりそうです。】
私の大学院生活の前半は、所謂東大闘争で授業も殆どなく、研究室も封鎖されて使えず、附属図書館だけが頼りでした。しかし機動隊導入後の構内には学生は寄りつかず、石の建物に工事用材の置かれる音だけがこだまする、惨憺たる3年間。暗い図書館の出納台で、ある日、若い職員が突然、「わたし、今度中之島へ転任になりました」と言ったのです。顔は知っていましたが、私の方は何故そんなことを告げられたのか分からず、黙って頷き、出てきた図書を抱えて席へ戻りました。背後で彼が同僚に、唐突に紫陽花の話を始め、少々持て余されているのが聞こえました。その日、私は水色のワンピースを着て、水色のリボンで髪を括っていました(大学院時代は美容院に行くのも億劫で、髪を伸ばしていたのです)。
彼が私に転任を告げた言葉に、べつの意味があったのかも、と気がついたのは1年以上経ってからでした。その後、私も長門本平家物語の調査で大阪の中之島図書館へ行きました。万博前年で市民団体による反博が行われていた夏です。調査が済んで図書館を出る時、それとなく辺りを見回しましたが、勿論、再会はありませんでした。
付属図書館の職員とは、遠いような近いような関係でした。こちらは出て来る本に気を取られていますが、あちらは、終日、やって来る利用者は1,2人という時期だったのです。東洋文化の資料室では中年の女性職員から、手作りの文旦漬を振舞われました。