神皇正統記の運命

昨年6月、突然、平泉隆房氏からメールを貰いました。神皇正統記の共同研究を始めたい、とのお話でした。私が國學院大學大学院開設60周年記念出版の影印『神皇正統記      職原抄』(朝倉書店 2014)の解題を書いたことがあったからのようです。神皇正統記の研究はさきの大戦時の経緯もあって、昭和前期から殆ど進んでいない、と言っていい状態です。平泉氏が音頭を取って、現代の水準での研究を始められるなら、これ以上の好条件はないと思ったので、大いにエールを送りました。

神皇正統記には諸本があり、成立や諸本の先後関係の研究はほぼ半世紀、停まったままですが、単なる原本探求以前に、各伝本の書誌に関する判断の客観性にも問題があり、中世の歴史叙述の特殊性や本文流動のあり方については、軍記など近年の国文学研究の視点を導入して、現代の水準で議論してみる必要があります。

平泉氏は福井県の平泉寺白山神社宮司さんでもあります。メールには、このところ「霊応山平泉寺大縁起」を翻刻しているが、赤間関阿弥陀寺で天文6年(1537)に長門本平家物語を見たという記事がある、捏造だろうが、とも記されていました。私はここ1年半ばかり、「長門本の新研究」とでもいうべき企画に熱中していたのですが、ふと平泉氏のメールを読み直し、何故天文6年なんだろう、阿弥陀寺にその頃、実際に長門本があった可能性も零ではない、と気がつき、改めて平泉氏にメールを出しました。

暫くして御遺族から返信があり、8月16日夜半に逝去されたことを知りました。その日の朝まで研究の話をしておられたそうです。未だ71歳、研究者として充実期だったのに。歳月人を俟たず!もう10日早くメールを出しておけば、と後悔しました。

嗚呼、神皇正統記研究の今後の運命やいかに。