何気なく朝刊の東京欄を広げたら、「戦後80年へ」という連載記事に「地下壕3Dで疑似体験」という見出しがついていました。あれ、聞いたことのある話だな、と思って読むと、明翔会の鈴木慎也さんが、勤務先の東京高専でやっているプロジェクトでした。このブログでも、昨年の7/23と9/13付で紹介しています。
八王子市内には、さきの大戦末期に使われた地下の軍需倉庫跡(浅川地下壕)があるのですが、それを戦争遺跡として伝えていくために、高専の生徒たちも協力して詳細な3D映像を作った、というのです。昭和19(1944)年、本土決戦に備えて陸軍が、総延長10kmに及ぶ、網目のように岐れた地下壕を突貫工事で造り始めたが、完成前に終戦となったのだそうです。大勢の朝鮮人労働者や学徒が動員されたらしい。
本土決戦という語を知らない世代もあるでしょうが、終戦直前、沖縄で軍民一体の徹底抗戦をさせている間に、本土では、敵軍が上陸して地上戦が繰り広げられることを予期して慌ただしく準備が進められました。長野の松代には、天皇を始め日本政府の中枢が入るはずだった地下壕が、今も遺されています。
1997年、「浅川地下壕の保存をすすめる会」という市民団体ができ、市の文化財指定を目指して活動をしているそうで、スリランカの灌漑遺跡の研究をしている鈴木さんは、その見学会に参加したのをきっかけに、ロボット工学が専門の同僚と協力して、生徒と共に高専ならではの最新技術を駆使し、壕の内部を3次元データで記録、立体映像化しました。すでに地元の小学校で教材として使われ、ウェブ公開も検討中とのこと。
学童防空壕でもあった浅川地下壕に避難した経験のある地元市民は、朝鮮人労働者が子供たちを安心させるために歌ってくれたアリランが忘れられない、と語っています。