見沼のヌシ

伊藤龍平さんの「ヌシ伝承と治水事業―見沼・印旛沼の事例から―」(「國學院雑誌」3月号)を読みました。長い年月同じ場所に棲み続けて霊的な能力を持つようになった動物を主(ヌシ)と言いますが、死後の霊ではなく生き続けて変化したもので(植物なら神木、器物なら付喪神、人間でも仙人のように神秘性を帯びる)、動物の場合は水域、とりわけ沼や淵のような、水の流れが停滞して淀んでいる場所を好み、堀や井戸のような人工的水域、山や谷、古城廃屋など淀みのある所なら棲むことがあるという。

伊藤さんは、ヌシの伝承には自然と人間の共生のヒントがある、と考えています。ヌシはテリトリー内に籠もり、普通は自ら人間の領域を脅かしに出て来ることはないが、人間がヌシの領域を侵犯するとその報復は苛烈で、いわばヌシは自然のメタファーであり、ヌシ伝承の背景には人間の自然開発の歴史があるとして、埼玉県の見沼を例に、都市伝説の1種「タクシー幽霊」をも併せて考察しています。

「タクシー幽霊」は世界各地に見られる話形なのだそうで、幽霊ではなくヌシが乗り物に乗って移動する話が日本にはあるという。伊藤さんは見沼のヌシ(大蛇)が干拓のため印旛沼へ住み替える話の例を挙げ、地元住民の要望で進められた見沼干拓事業と、失敗に終わった印旛沼干拓事業とでは、伝承の内容に相違が見られ、その後の住民の関わり方にも差異が出たことを指摘しています。

興味深く読みましたが、話題が散らばりすぎている感があります(研究会用の口頭発表原稿はそのまま論文化すると散漫になりがち、一旦構成し直す必要がある)。また「タクシー幽霊」の話形は、大森彦七譚の型とも共通性があり、橋や水べりは彼女たちの出没地点でもありました。