信濃便り・善光寺篇

長野の友人から、客を案内して善光寺へ行ってきた、とメールが来ました。

善光寺からの眺望

【山門内の、幅が狭く傾斜が急な階段を3つのぼり、上層階にたどり着き、手すりにもたれながら長野市街地を眺めてから、近くの喫茶店でお喋りをしました。気がつくと、帰り道は足取りがすっかり軽くなっていました。】

そうなんです。やはり、対面してお喋りすると、身も心も活性化します。老後の話し相手とほどよい話題こそ、若い内から心がけて養っておかねばなりません。

境内の椿

【本殿脇の林の中で撮った椿です。境内の日陰には雪が残り、椿の枝には杉の枯れ枝が覆いかぶさっていましたが、鮮やかな色合いの蕾に春の気配を感じました。】

雪国の春は何もかも一遍に咲き出し、あっという間に過ぎていきます。東京とは違う暗赤色の花弁が、信濃の冬の厳しさをまざまざと語っています。

友人は昨年夏から近所の高校受験生の英語指導を頼まれ、自分の受験よりやきもきしながら、辞書を引く習慣をつけるところから始め、無事に合格させました。今どきの単語帳はこんなものもあるのよ、とスマホのアプリを見せてくれましたが、私たちの時代の「赤単」(「赤尾の単語帳」の略語?)とも、リング式の単語カードとも違って、クイズ形式で(しかもキャラクタ-画像つき)、基本単語を覚えさせるアプリです。

いやしかし・・・これでは、前後の、似た綴りの語もついでに覚えるとか、派生語が一括りで目に入るとかいう余録はない。それに字数の都合か、意味の説明が短絡的で、異なる言語特有の、周辺ニュアンスを感じることができない。こういうツールに早期から慣れてしまうことの怖さが、まず押し寄せてきました。その違和感は、日本人が日本語の電子辞書を使う時にも共通します。