野良猫を詠む歌

汲古書院の宣伝誌「汲古」82号に兼築信行さんが「野良猫を詠んだ歌―和歌研究者の愉悦―」というエッセイを書いています。編集後記によれば、古典研究会会員の学術的エッセイを、「涓涓滴滴」という欄を設けて随時掲載していくことになったのだそうで、その第2回に当たるという。

兼築さんは定家の歌に出て来る「馴れしも知らぬ」という特殊語句を調べるためにDBを検索したところ、『貞秀朝臣集』と、正徹の詠にあることが分かったのだそうで、正徹は宝徳元年(1449)の歌会で詠んでおり、その恋歌の中に「野良猫」という語が、絆が切れてしまったと嘆く序詞に使われています。兼築さんによれば、「野良猫」は源仲正や寂蓮の作にも出ていて、この3歌人はいずれも新奇な語句を用いる特徴があり、詠まれているのは何故か恋歌であることが共通しているという。当時、猫は屋内で綱に繋がれているのが一般的だったので、野良猫は放縦不羈なイメージで詠まれているようです。

「野良猫」が歌語の中にあることや、12世紀からすでに歌われていたことは意外でした(兼築さんも意外だったらしい)。さらに近世では俗な素材として俳諧に多く現れること、近代では都市の風景の中で歌われることも指摘されていて、なるほどと思いました。日本の猫は輸入品で、野良猫は全てそれら家猫が野生化したものだそうです。

源氏物語第2部で、女三の宮の運命が猫によって暗転する場面は印象的です。それゆえ恋の歌に結びつくのでしょうか。俳諧には「猫の恋」という語もあります。一方当時の日本には、もともと野犬がうろうろしていたようです。「野良猫」という語には、ちょっと不穏な空気があるのかもしれません。