予算編成

小学校に入った時、教科書に載っている、年末の大掃除で畳を叩くお父さんの挿絵が理解できませんでした。その当時、年末は予算編成の時期に当たり、我が家では父はずっと帰宅せず、大晦日の除夜の鐘が鳴る頃、最終列車で帰って来るものだったからです。クリスマスケーキが25日の朝(A級戦犯が出所した日)のお土産だったことは、以前に書きましたが、御用納めで父が帰宅したことも殆どありませんでした。

後年の父の回顧談によれば、予算編成の時期には、夜になると机を寄せてその上に布団を敷いて仮眠を取ったそうです。各省内部の調整、陳情の応対、最後に大臣折衝で決着がつくまで、戦場のような忙しさ(彼らは実際に戦場を体験しているので、そういう表現は使いませんでしたが)だったらしい。ある年、新人議員が勝手に椅子を持ってきて入り口に座り、やって来る陳情団の用件を聞き、あ、君の話はあっち、それはこっち、と行く先を振り分けたそうで、その交通整理は何年か続き、そのうちあれは一体何だ、ということになって、また混雑状態に戻ったことがあったという(その議員は後に、平民宰相として有名になりました)。

その後予算編成はもっと早くから始まるようになり、例年、年内には原案ができていたようですが、今年は遅れているのでしょうか。それでも御用納めまでには、けりがつくのでしょうね。

予算規模の膨張、赤字国債依存の財政、根拠の不明確な拡大防衛費、度重なる補正予算中央銀行の突然の方針変更・・・ド素人が見ていても、この国いつまで保つかな、と思ってしまうような年の暮です。今はかの長期政権の後始末期間に当たり、憲法を骨抜きにするような歴史的重大案件を、全力でぶつける時期ではないのでは。