猫ケ洞通り

名古屋の手嶋大侑さんから、新居移転のお知らせメールが来ました。新住所を見ると猫ケ洞通りになっています。32年前名古屋に赴任した時、最初は本山の1DKアパートに住みました。知らない土地で人事異動の時季に急に探しても、不動産屋は見るからに不親切、嘘八百の対応で、やっとそこしかなかったのです。周辺はスーパー、銀行などが1店舗ずつ、食堂も数軒あって、生活には便利でした。猫ケ洞通りという、宮沢賢治の作品にでも出てきそうな通りまで足を延ばせば、喫茶店もあり、紅葉の美しい並木もありました。しかし次第に荷物が増え、3年後には坂を登った池園町に、小さなマンションを買って5年間暮らしました。

真っ直ぐ行けば名古屋大学、夏には水鶏のほかに夜な夜な不気味な声が聞こえ、名大化学部が池に薬品を捨てるので化け物になったという伝説のある、ウシガエルが鳴くのでした。同朋大学の故渡邊信和さんからは、名古屋で唯一お洒落な通り、東京で言えば四谷、と教えられ、確かに洒落たイタリアンレストランや古書店などもありましたが、地下鉄が名大まで通じたら、ファストフード店ばかりになりました。

【池園町に上がっていく坂は、今もファストフード店がちらほらありますが、最近はお洒落なお店もいくつかできてきました。何故か美容院がかなり多いです。

同僚の先生方に助けてもらってばかりですが大学の業務にも少し慣れてきて、研究の時間もとれるようになってきました。来月、「宮内庁書陵部図書寮文庫所蔵『除目申文之抄』と藤原伊通の除目書『九抄』」という拙稿が『古文書研究』に載ります(手嶋大侑)】。

藤原伊通平治物語で印象に残る人物。手嶋さんは論集『明日へ翔ぶ 4』(風間書房 2017)に「年官制度の展開―中央と地方の連関―」を書いています。