美濃国便り・藤袴篇

岐阜の中西達治さんから、「花信」と題した葉書が来ました。

【県の関ヶ原町古戦場グランドデザイン推進室が、景観保全の一環として、開戦の地近くに藤袴の花畑を作りました。花期は10月から11月初旬にかけてで、ここへ、越冬のため長距離を旅する蝶、アサギマダラが飛来しています。】

葉書には10月に撮ったというアサギマダラと藤袴や、古戦場の写真が刷ってあるのですが、データではないので残念ながらここに転載することができません。

平安時代の女性は、藤袴の干した茎や葉を水に浸けて髪を洗ったり、防虫剤、芳香剤、お茶などにも利用しています。源氏物語の巻名「藤袴」は、夕霧が玉鬘に詠みかけた歌  同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも に因んでいます。】

私が花屋以外で初めて藤袴を見たのは、鳥取在勤時代に城跡の近くの住宅街を散歩した時でした。未だ城下町以来の棲み分けが残っていて、この辺は旧家老や藩の重職の子孫が住んでいる町、と教えられていたので、庭先に丈の高い藤袴が一叢植えてあるのを見て、箪笥の隅に入れたりするのだろうなあ、とゆかしく思いました。その後、確か上賀茂神社の境内でも、アサギマダラが羽を休めている一叢を見かけました。和歌の世界では女郎花と対にして、男が袴を脱ぐ、ややエロチックな雰囲気で詠まれることが多い。

源実朝は、藤袴きて脱ぎかけし主や誰問へどこたへず野辺の秋風 という歌を残しています(中西達治)】。

実朝は万葉調歌人として有名になりましたが、じつはその詠作の大半は当時の平均的歌風に近い、温順な習作です。初心者故に大胆な作もできたのだ、と言う人もあります。