流布本曽我物語

小井土守敏編『曽我物語流布本』(武蔵野書院)という本が出ました。正保3年版を翻刻、頭注を付けたペーパーバック、大学などでの教科書を目的としたものでしょうか。巻末に小井土さんの解説「『曽我物語』のおもしろさを今ふたたび」がついています。

凡例によれば、なるべく原表記に戻れるように本文を作ったとのことで、研究者が本文校訂をする時そうしたくなる気持ちは分かりますが、振り仮名や仮名遣いなどの特別操作は通読する際に煩わしいだけでなく、誤りなのか原文のままなのか疑問な箇所(例えばp294l17「上くべく」は「上ぐべく」では?)も見受けられ、この版本なら比較的原本も閲覧しやすいので、いっそ現代の読者向けに校訂してしまってもよかったのでは。

古雅な挿絵の多い底本を選び、傍系説話を異なる字体で組むなどの工夫が凝らされている点、編者の思い入れがよく分かります。しかし流布本の面白さは、雑学が説話に限らず文飾まで溢れているところにもあり、傍系として切り出すのは難しい。

解説では曽我物語の魅力として①敵討という話材 ②主人公が兄弟であること ③母との関係 ④恋愛 ⑤雑学 ⑥旅 ⑦兄弟の出遭う困難 ⑧浄化と鎮魂 ⑨祝祭性を挙げています。また近世から昭和初期にかけて国民文学の位置を占めるほどだった曽我物語が、何故現代には流行らないのかを問い、敗戦後の禁止令の影響に言及しています。

我が家では、文学はいきなり大人向けのものを与えられたのですが、それでも、満月に飛ぶ雁の列を見る兄弟の挿絵は見た記憶があります。サラリーマン社会に准えられる「忠臣蔵」に比べて、親子の因縁を引きずる曾我咄は、戦後社会には向かなかったのかも知れません。本書をめくりながら改めて、流布本の成立経緯に思いを馳せました。

なお凡例、市古貞次先生の名前が2箇所間違っています。固有名詞には要注意。