文芸論の探求

高田祐彦さんの『高木市之助 文芸論の探求』(岩波書店 近代「国文学」の肖像第5巻 2021)を取り寄せて読みました。

高木市之助は昭和49年(1974)、87歳で亡くなりましたが、2年前までフェリス女学院大学に勤め、昭和35年には日本古典文学大系の『平家物語』、国語国文学研究史大成『平家物語』を渥美かをるらと共著で出し、いわば近代的平家物語研究の礎を樹てた人でした。古典大系平家物語』の解説には、異本が多く、語り物である平家物語を「眼で読む」とはどういうことかを苦心しながら論じており、私にとっても卒業論文以来、先達としてずっと視野の先にあった学者です。本書の表紙にデザインされた『吉野の鮎』『古文芸の論』『国文学五十年』などは、かつて我が家の書架でも見慣れた本でしたし、フェリス女学院に非常勤で出講していた時も、屡々彼の名前を耳にしました。

本書は略伝、1文芸の本質と研究、2叙事と抒情をめぐって、3自然・環境・風土、まとめ、という構成になっていて、広汎で膨大な業績の中から、選んでこの3本の柱を立てたことに、まず高田さんの主張があると見るべきでしょう。石山徹郎や岡崎義恵、風巻景次郎など、高木の歩みにつれて挙げられる著作は、私も20~30代に一度ならず取り組んだことがあるので、今更ながら、ある時期から自分のフィールドがぐんぐん狭く限定されてきたことを、悔しさと共に再認識しました。

高木の指向も戦中戦後では時代の影響を大きく受けており、完了しない大仕事に挑んだ先人、という私的評価を新たにしたのですが、殊に叙事と抒情の問題、覚一本の達成とは何か、語りと文芸との関係などは、今なお私たちの前に遺されたままです。定年後の中世文学会講演でそのことを言挙げしながら模索のうちに時が経ち、忸怩たる想いでいます。