日本語学の高崎みどりさんが「桜蔭会会報」復刊264号に、「”女性冠詞”を取り払って」という題で会長挨拶を書いています。そうか、あれは女性冠詞というのかーと思いながら読みました。「女性で初めて」「女性初の」等々の但し書きをつけて業績紹介される場合の違和感についてです。褒めているんだから何がいけないと言われそうだが、と断りながら、「女性」の部分で称揚するということはまた、「女性」の部分で貶める(女だてらに、とか)のと表裏一体ではないかと言っています。
「女性として初」よりも何をしたかの方がずっと重要で、聞く方はそちらを知りたがっているのにとしつつ、性別とは関係なく、評価に値することをやって結果的に「女性ではじめて」となったのであって、それまで女性に達成しにくかった仕組みを温存してきた社会の側が猛反省すべきだろう、というのです。
古くて新しい、いや未だに無くならない問題です。英国ではすでに女性首相は3人目、この次は序数で数える必要もなくなるでしょう。
20年くらい前まで、私は女子のゼミ生が卒業する時、貴女方は働き続ければ必ず、先例がない、女では初めて、と言われる局面に出遭う、その時ひるむな!と言って送り出してきました。非常勤で産休を取るのは初めて、主要科目での専任採用は初めて、管理職には初めて・・・先例は絶えず更新されるのが、活性化なんだから。
しかしだんだん、女性でもひるまずやらなければ、とは考えなくてもいいかな、という場合が増えてきました。大抵の大仕事は、舐めてかかってくる連中、嫉妬する人たちを取りさばきながら達成しなければなりません。無駄なエネルギーはもう使いたくない、と思うせいでしょうか。女性でも、よりもやり遂げられればそれでいい。日和ったかなあ。