きのこ

玄界灘のほとりで育った父は、きのこを莫迦にしていました。あれは飢饉の時に食べるもんだ、と言うのです。福岡方言では、きのこを「なば」と言います(毒茸を「なば」と呼んで区別する土地もあるらしい)。湿った触感がよく出ている語だと思います。

山国、広葉樹林と湿気の多い土地では、きのこ狩りは生活の一部であり、郷里の味として忘れ難いもののようです。名古屋に勤めていた時、中国人留学生が東山植物園で、故郷の茸に似た茸を見つけて採って食べ、中毒死したことがあって、知らない土地で知らない茸なんか食べるかよ、と思いましたが、望郷の念止み難かったのでしょうね。都会では栽培された茸しか食べませんが、周囲に絶好のきのこ狩り用地のある所では、季節が来れば出かけたくなるのでしょう。ちなみに、私が今までで一番美味しいと思った茸料理は、蔵王の宿で出た舞茸の天麩羅でした。

鳥取は茸の栽培工場が早くからあり、昭和天皇も見学に訪れたことで有名です。学生の話では、楽なアルバイトだと思って暫くやってみたが、家へ帰っても独特の臭いが脱けないのに閉口した、と言っていました。瓶に詰めた菌糸から茸が生え揃ったら、瓶の口に合わせてナイフで切り落とす作業だったそうです。

木曾義仲が上洛して接客に「無塩の平茸」を勧める話は有名ですが、当時平茸は食材として値打ちがあり、生鮮魚介類が入手しにくかった京都や木曾では、「無塩」は今でいう「朝穫れ」みたいな語感だったのでは、という注釈を見たことがあります。

今回の大河ドラマでは、義仲は嘲笑の対象にはなっていませんでしたが、北条義時の3度目の結婚ときのことの関係が、ネット上で話題になっています。多分あのドラマでは、主人公は毒茸で死ぬのでしょう、妻の手料理で。