中世文学67号

「中世文学」67号が出ました。所収のシンポジウム「徒然草の視界」、講演2本、研究発表についてはそれぞれ、学会が行われた2021年5月、10月の本ブログに書いていますので御覧下さい。原稿化され、こうして一堂に会したものを改めて読むと、ベテランたちの風格に感服しながらも、水準が低くて掲載不可となる場合と、初心者の未熟さが残っているものの何かしら新しい着眼点のあるものとでは、扱いが異なってもいいのでは、という気もします。評価方法の公正さの担保が難しいのは理解できますが。

読者としての私には、今号の核は兼好と慈円です。シンポジウムの各論ー中野貴文「徒然草の書き手の肖像」、小川剛生「兼好の居る場所―六波羅探題とその周辺―」、川平敏文「ひねくれ者の美学―137段をめぐって―」は、まさに必要な徒然草論ばかりという気がしました。研究発表による論文5本の中3本は和歌で、和歌文学研究の隆盛が羨ましい。方法論が確立され、しかも多様性があって、ベテランはさらに先へ進み、若手は安定した基盤の上で新しい試行をすることができる。どうしたらそういう環境を整えることができる、いやできたのかなあと考えましたが、答えは出ませんでした。

永らく説話・仏教・中世文学会の出し物がどれも同じようで、資料紹介のような発表ばかりの時期がありましたが、最近は「文学」の話が聞けるようになった、という感懐を持ちました。しかし大学院生の会員が減り、研究発表に若手の応募が少なくなっては先行き不安です。学会運営に工夫が必要かもしれません。本誌巻末の委員名簿を見て感無量だったのは、女性委員が半数近くまで増えたこと。完全な半数ではないところを見るとクォーター制によったのではないようですから、30年前、いや20年前(紅1点とか2点だった)に比べると天地の差です。講演やシンポジウムの顔ぶれもそうなるといいな。