信濃便り・弘前花筏篇

長野の友人が、弘前に赴任した親族から来た写メールを転送してきました。

弘前城の落花

かつては長野の友人と、私と、同い年の従妹の三婆で年に数回、集まってお喋りしました。最初に定年が来たのは長野の友人で、宮古島へ慰労旅行に行き、彼女はすっかり彼地が気に入って、観光大使に推薦しようかと冷やかすほどでした。

次に定年が来たのが私で、希望を容れて貰って北国の桜を見に行きました。新幹線の来る2年前の松前は文字通り「何も無い春」で、それがよかった。桜は咲き始め。旅行会社のお奨めで白神山地の裾を廻る展望列車に乗り、知り合いの内装職人が夫婦喧嘩で家出した時に行ってみた、という不老不死温泉に泊まりました。朝、床の中で岩燕の群の囀りを聞いた記憶が忘れられません。枝垂桜の角館はもう落花でした。それぞれ名所らしい桜でしたが、やはり圧巻は弘前城。満開でした。苦しかった在職時代を、天が嘉してくれたのだと思いました。

弘前城花筏

その次の定年旅行は従妹の番。秋の京都か春のハウステンボスに行きたいと言っていたのですが、腕利きの営業ウーマンだった彼女は定年がない。旅先でも絶えず、私たちから離れて顧客の電話を受けていました。とうとう、現役のまま癌が見つかり、あっという間に亡くなりました。病床で後輩たちに1人1人顧客を譲り、◯◯から言われて参りました、と言うんだよ、と教えていました。

さまざまのこと思ひ出す桜かなー彼女の引退旅行ができなかったことが心残りですが、ひとつ、思い当たることがあります。我が家の大島桜(実生の鉢植えです)が咲いたら花見の宴をやろうね、と話していたのですが、彼女の逝った年だけ咲きました。その前も後も咲きません。一緒に花見をしたんだと考えることにしています。