卒業式の思い出

先週は東大の卒業式、学位授与式が日ごとに行われたようで、ぞろりとしたガウンを着た若者が、街をうろうろしていました(ガウンだの勲章だのというものに無関心なのが国立大学の風土、と思ってきたのに、昨今は誇らしげに着て通りを歩くのですね)。

37年前、非常勤ながら卒論指導をしたミッション系女子大の卒業式に出た時、卒業生は衣服の貧富差が見えないよう、一律に大学から貸与されるガウンを着るのだと知って、驚きました。そして礼拝堂のミサで、今日ここに来られたことに感謝し、来られなかった人たちのために祈りましょう、との言葉に感動しました。本務校はお嬢様学校として知られた女子短大でしたが、式典後のアトラクションに卒業生3人のロックバンドが登場、振袖に襷を掛けて熱演し、年配の教師たちが苦い顔をしていたことを思い出します。

その春から私は鳥取大学へ赴任。かつて国立大学の卒業式は一律3月23日と決まっており、体育館で行われ(国立大学は、体育館は教育上必要だが講堂は不要として、建設予算がつかないのです。安田講堂は民間の寄付で建てられました)、雪と泥でぐちゃぐちゃの床にシートを敷いて、晴れ着の卒業生たちがその上を歩いていました。

自分自身の卒業式は、中学では誇らしかったことを覚えていますが、小学・高校は記憶が無く、大学では父が来ました。その年、祝辞を述べる文部事務次官が高校以来の同級生だったから来たのでしょうが、父兄席はみんな寝ていた、と笑っていました。壇上には花も飾られず、背丈ほどの棕櫚の鉢植えが置いてあったことを思い出します。

修士の学位記は、4月になって博士課程の授業開始後に事務室へ受け取りに行き、今頃まで取りに来なかったのは貴女だけだ、と呆れられました。父に話したら、自分も福岡へすぐ帰郷したので卒業証書は郵送されてきた、と言う。家風だな、と思いました。