お年玉

埼玉にいる従姉からレターパックが届き、何だろう?と思いながら開けてみると、横須賀の海軍カレーのレトルトパックが入っていました。謎は深まるばかり、手紙を開封すると、貴女から来た年賀状のお年玉が2等賞に当たった、生まれて初めての事なのでお裾分けする、とありました。半分分けしてくれたらしく、律儀だなあと恐縮しました。

お年玉年賀葉書は70年近くやりとりしていますが、毎年切手シートは必ず当たるものの、1等や2等に当たった経験はありません。私の場合、かつて5等賞まであった時代に、4等賞のレターセット(便箋と封筒)を獲得したのが最高記録です。

ヒット率は近年はだいたい30枚に1本、かつてはほぼ1年分の切手を獲得しましたが、だんだんシートが小さくなりました。去年今年、ヒット率がぐんと上がったので、大喜びで引き替えに行ったら、これまで1シート切手4枚だったのに、¥84と¥63の1枚ずつになったのでした。以前は当選葉書を選り分けるのは大変でしたが、下1桁に注目すれば、今はあっという間に抽出できます。何だか楽しみが減ったような・・・

亡母は5人姉弟の次女で、この従姉は次男の長女。叔父は満州から復員し、様々な起業を試み、最後は幼稚園長になり、子供たちに碁を教えるのを楽しみにしていました。我が家では「満州皇帝」という渾名で、日曜日に突然やってきては、終日父とへぼ碁を打っていましたっけ。地雷撤去運動などにも参加し、国連総会で片仮名書きの英語でスピーチをしたこともあったそうです。戦後、政府は各国に残った日本人3500万人を、そのまま現地に残す方針だったという論文を読んだことがありますが、もしそうなっていたら、彼女たちにも出遭えなかったわけです。従姉は大学では露文の出身。今のロシアを見ているのはつらいでしょう。