零余子

夕食後、ぼんやりTVの動物番組を視ていたら、徳島の山中で自給自足生活を送る親子7人家族の話が出てきました。父親が自生の零余子(むかご。ぬかごとも)を採り、零余子飯を炊いていました。この子供たちが、何が出ても旨い旨いと言いながら食べるのが痛快で、零余子飯は小学生の長女が父親とグータッチをするほど喜ばれていました。

零余子は山芋の腋芽です。早くから食用にしたらしく、味は山芋と馬鈴薯の中間、と言えばいいでしょうか。『方丈記』では、長明は山守の子供を連れて散策しながら、「或は茅花を抜き、岩梨を採る。またぬかごをもり(零余子を採るような動作は、「もる」と言ったらしい)、芹を摘む」と食材採集をしたことを記しています。『平家物語』にも出て来て(原話は『今物語』)、忠盛が、白河院から下賜された祇園女御の産んだ子のことをそれとなく報告するのに、「いもが子は這ふほどにこそなりにけれ」と詠み、真意を悟った院が「ただもりとりて養ひにせよ」と返し、爾来清盛は、忠盛の子として育ったという話になっています(覚一本巻6)。

洒落た料理屋では茹でて塩を振り、2,3粒松葉に刺して季節の彩りに出したりします。牛挽肉と共に甘辛く煮付けると、美味しい。塩味の炊き込みご飯は野趣があって最高です(これは確か、檀一雄に教わった)。35年前の倉吉では、A5判の小箱1杯¥500で全国配送しているのを見ましたが、東京のデパ地下では掌1杯¥480でした。

宇都宮勤務の頃、週1日は駅前のホテルに泊まったのですが、大学構内で零余子を見つけ、数粒採って、ホテルの小さなポットで茹でてつまみにし、麦酒を呑んだことがあります。我が家の近所にも2軒ほど、垣に絡んだ零余子を放置している家があって、通り過ぎる度に視線を惹きつけられるのですが、それは窃盗になるでしょうね。