美しい誤解

前にも書きましたが、猫を家飼いする風潮にどうもなじめません。猫は束縛を嫌う自由な生き物。半野良で餌をくれる家々を廻って歩くのが普通だった時代(今どきは地域猫と言って、去勢して管理するのらしい)と違って、都市部では、今や純粋な野良猫は絶滅種になったもようです。子供の頃、半野良の猫の寄越すまなざしは、クールなものでした。仔猫以外は向こうから甘えてくることはない。たまに体をこすりつけて来る(猫ファンの間では、スリスリすると言うらしい)時は、痒いんだなと思っていました。現代の飼猫は、もはや別種の生物のように見えます。

巣ごもり生活にも飽きた時は、ネット上に投稿された愛猫たちをPCで視るのですが、主たちは、猫が寂しがり、甘えたがり、懐いていると信じて疑わないようです。しかし彼らの身になって考えてみたら、どんなにか退屈な生活でしょう。確かに危険はないし餌にも困らないが、もともと好奇心の強い動物、1日中歩き回って、ちょっとでも動くものには手を出してみたり、まじまじと観察したりするのが本性なのに、決まった物しか置いてない狭い空間をうろうろするだけ。

留守の間、主を恋しがって鳴いていた、というコメントのついた投稿がありましたが、猫にしてみれば閉じ込められ、主がいつ帰って来るかも分からず、恐怖で鳴いていたのかもしれません。在宅ワークの主が仕事に行き詰まると、猫じゃらしを咥えてきて、よかったらこれ使ってみて、と言ってくれる、という動画もありましたが、キーを打つ音が止んだので、遊んで貰えそうだ(何しろ退屈だから)と思ったのでしょう。

美しい誤解―ペットを飼うとはそういうことでしょうか。ふと気づくと、人間同士でもそんな関係を大事に守るのが、幸福の秘訣なのかも。ひねくれていて済みません。