家ごとの「さきの大戦」・甘味篇

九段育ちの母と結婚した博多育ちの父は、商工省に勤めてから召集令状(いわゆる赤紙)を受け、郷里で入隊、新兵の訓練を受けました。母と祖母は、面会日にはおはぎかおにぎりを作って重箱に詰め、隊を訪れました。潔癖性だった父のためにおしぼりなども用意して行ったのに、面会場に現れた父はいきなり手づかみでがつがつと食べ、新婚の母は衝撃を受けて、帰途「あんな風になるものでしょうか」と祖母に訴えたそうです。後年、父にその話をしたところ、「何しろ時間がないんだよ、早く食べ終わって話もしたいし」と言っていましたが。

同時入隊の同級生の1人が、あの時1つも分けてくれなかった、と30年も後の酒席で絡んだことがありましたが、父が「そうかなあ、そんな気の利かない女じゃなかったけどなあ」と返して、勝負あり。

母の弟(私から言えば叔父)は満州終戦、現地を放浪後帰還したので、父は「満州皇帝」と渾名をつけていました。上官たちは当時貴重品だった砂糖を持って逃げたが、彼は背嚢一杯に塩を詰めて逃げたため助かったのだそうで、戦後のベストセラー小説にその話がパクられたと言っていましたが、似たような事実が幾つもあったのでしょう。

ミンダナオで終戦6日前に病死した父の弟(私の叔父)が、南方へ発つ前夜、おはぎを作って待っていた祖母の許に帰宅できなかった話は、このブログに書いたことがあります。里心がついてはいけないと上官が帰宅を許さなかったのだそうで、せめて重箱を差し入れてやることも許されなかったのでしょうか。

教え子から、実家へ墓参に行ったのでソウルフードを送ります、と群馬の焼饅頭が届きました。黒糖入りの味噌を塗って焼く、郷土名物です。叔父さん、味見して下さい。