美濃国便り・文人悌次郎篇

岐阜の中西達治さんから、抜刷と、「花信第五信」と題して睡蓮の花を刷った絵葉書が送られてきました。論文は「文人秋月悌次郎」(「金城学院大学論集」人文科学編17:2)と題する、戊辰戦争後、高須藩に預けられた秋月悌次郎と手代木直右衛門の事跡を追うシリーズ中の1編。今回は、廃藩置県により彼らの運命が大きく変わる明治4年までを取り上げ、悌次郎とその一族の書簡や、彼を訪ねて交流を持った人々に贈った詩作などを考察しています。

私は幕末史には今まで関心がなく、せいぜい大河ドラマ「八重の桜」を視て、激動の時代を描くには、切り捨てられたり脚色されたりする事実がいかに多いか、もしくは別の観点から見ればまるで異なる筋立てになりそうな局面が何と多いことか、と考えたことがある程度ですが、本論文を読みながら、漢詩・漢文(故事説話)がかつて、日本人の心性ー殊に歴史の流れの中でのアイデンティティや、己れの生き方の指針探求にどんなに影響を与えて来たかを、改めて考えさせられました。

悌次郎が遠く離れた一族の生計や教育について心配し、制約の中であれこれ手を打っていたことも書かれています。明治4年7月に廃藩置県が行われて、旧藩主は東京在住を命ぜられ、旧藩士の移住先斗南藩への転住を考え直し始めた書簡(9月1日付、弟宛)に悌次郎が書き添えた「総て不和なる事は和漢古今の常に婦人より起り候間」という文言には苦笑しました。無理に束ねられた縁戚集団の難しさを、よく言い当てています。

中西さんの秋月伝はこれから佳境に入るところ、いずれ単著にまとめられるでしょうから、楽しみです。同封の火鉢植えの睡蓮の写真には、希臘神話の、サイレーンというニンフの話が添えられていました。メダカの稚魚も育っているそうです。