みるく世

6月23日は沖縄慰霊の日。旧日本軍による戦闘が実質的に終わった日を、沖縄県は慰霊の日としてきました。台風が近づいているせいか、雨が横なぐりに降っているらしい。例年なら平和の礎の前では家族連れが弁当を広げたり、三線を弾いたりしているのですが、今日は人影も少ないようです。青い海も鈍色に沈んで見えました。

東京でも同じ頃、驟雨に襲われました。今年はCOVID19のため慰霊式参列は僅か30名にしたそうですが、県知事が「76年前・・・」と切り出した時すでに、TVの中継画面には、参列者が目頭を押さえる姿が映りました。平和の礎を訪れてインタビューされた老人(沖縄には多い姓ですが、大学の同級生と同姓でした)を視ながら、同級生も生きていればこういう年格好になっているはずだったのだと思いました。

恒例の平和の詩を暗誦するのは、今年は宮古島の中学2年の女子生徒です。いかにも南方の出身者らしい、眉のくっきりした、意志の強そうな子です。題は「みるく世の謳」。姪の誕生場面から始まり、赤子が大きな声で泣ける世は平和だ、あの日々にはそれができなかったと謳います。覚えている、知っている、本当にあったのだ、忘れないで、と力を籠めて繰り返し、平和な世に、暮らしやすい世になれと願い、そうするのはここにいる私たちだ、と結びました。

視ているうちに涙が零れてきました(老人性感情失禁でしょうか)。私が思ったのは、こんなに力強く、まっすぐに自らの意見を表明する女子のこれからが、どれだけ困難に満ちたものになるか、ということでした。未だ未だ日本では、保護者の陰で温順しく生きる方が、女子には楽です。そんな世にならないように、妥協しない毎日を心がけるのが、ここにいる私たちからの贈り物だ、と思ったのです。