悪口ワールド

大人数のフォロワーがいるSNSで女性研究者の悪口を言い合って露見し、所属学会が反省文を出す結果にまで至ったのは、最近の話です。私はFBもツイッターもやらないので、悪口の一部始終を読んだわけではありませんが、一口で言って、悪口依存症とでも呼ぶ精神状態だと思いました。相手をした、もしくは煽った仲間も同罪でしょう。

以前、本ブログの「軍記物談話会抄史(8)」でも、アエラムック『平家物語がわかる。』(1997/11 朝日新聞社)の「『平家物語』研究のゆくて」冒頭にも書いたことですが、学者仲間の悪口というのは、けっきょく、その専門分野自体を堕落させます。ひとを攻撃するのでなくことがらを取り上げて論争するのが、プロとしてのイロハであり、矜恃でもあるはずですが、ひとの悪口を言い、仲間内で繰り返し相槌を打っているうちに、そこには一種の虚構世界が出来上がります。愛や気遣いだけでなく悪口によっても「ワールド」は成立し、存続していくのです。

私もひとの悪口は言います。それは①単なる愚痴、②私はああいうやり方は嫌いだ、もしくは拒否するということを憶えておいて貰うため、です。①の場合は消えてしまう場だけにし、いま自分は愚痴を言っている、と自覚するようにしています。②は若いうちは必要な場合がありましたが、次第に減りました。

恐いのは悪口ワールドが、虚構の閉鎖空間だということを忘れてしまうことです。それが現実の事態であるかのように、自分自身が思い込んでしまう。周囲もそれでやっていけてしまう。その世界の皮膜が破けた時、もはや取り返しがつかないこともあり得るのに(殊に、拡散速度と範囲とが人力を超えるデジタル空間の中では)。第一、認識を武器とする文系の学者が、自らを包む世界の仮想と現実との距離を見誤ってはいけない。