話が長い(1)

20代の頃、親の住むマンションの管理組合理事会に、代理で出ました。当時は、そういう席は女性が出るもので、大規模修繕や建設会社との交渉が必要になった時だけ亭主を出す家もある、という風でした。つまり、日常生活の細部を知っている者が集まって決めた方が、手早く、うまくいくのです(近年は男性が出てきて、よく知りもしないことを支配者目線で決め、女性に命令を降ろす、という風潮が強まり、手を焼きます)。

いわゆる生活騒音の苦情が出て、原因は特に非常識な行動というわけではなく、しかし気になる方は我慢できない、というケースに一同困惑していた時、1人のやや高年齢の女性が話し始めました。昔住んでいたアパートの・・・から始まって、階上に暮らす大家族の生活音に悩まされた経験談が、ゆるゆると続きました。若かった私は黙って聞きながら、女の話は長い、と少々いらついたのですが、その話はけっきょく、「相手の事情がよく分かっていれば、多少の迷惑は我慢できるものだ、だから子供が小さい内から、階下の住民には、ちょっとした祝い事のお裾分けをしたりして、おつき合いを作り、子供の成長を認知しておいて貰うのがいい」という説明に落ち着いたのです。

私はそのとき、女性の話は、営業トークや実務連絡を聞くのとは異なる聞き方をすべきものだ、ということを学びました。実例を挙げ、誰かへの攻撃性を薄め、ゆっくりと、しかし押しつけがましくなく、時には遠回りをして話すこと、一般社会においては、それが女性の発言の説得力の淵源になるのだと知ったのです。

でもその説得力を身につけることは、なかなかできませんでした。女性の発言というだけで無視する人の多かった時代、女は発言する時、つい、エキセントリックになるのよね、と先輩たちは言っていました。