新入社員だった頃・モスクワ五輪篇

学部を卒業してすぐTV局に勤め、経営資料を扱う部局に配属された話は前にも書きました。カラー受信機が普及し始め、六本木に高速道路が建設された頃のことです。日本の民放TVは新聞社・映画会社・ラジオ局の乗り合いで出発したのですが、入社した局は後発で、開局10年目でした。所属した部の部長は、大手新聞のスポーツ記者上がりだということで、世間に恐い物なし、といった言動がウリでした。

いま思っても、創業以来の社員たちは出身業界を背負って、ひそかに社内で力関係を競っていたふしがあり、しかも元の業種の本道を外れてしまった、というかすかなコンプレックスが誰にもあることが、私にも感じ取れていました。それが却って、新事業の推進力になっていたのかもしれません。私は1年も経たずに辞職し、大学院へ進んだのですが、その話は別に書きました。

特に部長との交流があったわけではありませんが、印象に残っているのは、新入社員歓迎会がちゃんこ料理店で開かれ、当時の関取が2人招かれてきていたことです。我々とも、部の仕事とも、何の関係もありません。ファンでもない相撲取りと話す話題もなく、彼らも手持ち無沙汰で、部長から命ぜられて相撲甚句を歌い、ちゃんこを食べて帰りました。後年になって、いわゆるタニマチだったのだろうと推測しました。

1979年、モスクワ五輪の独占放映権をこの社が獲得し、中心にいたあの部長は有名になりました。それまでNHKと民放相乗りだった五輪放映を、一民放局が独占したとは驚天動地の出来事。しかし翌年、日本は五輪不参加を表明し、彼は(3年後に)失脚。忽ち様々な(よくない)噂が飛び交いました。私が学んだ教訓は、大きな事業を無理押しするものではない、殊に功を独り占めするものではないということでした。