流用

その道の専門家たちには当たり前の知識になっているのかもしれませんが、古活字版の本文を翻刻しながら迷うのは、「活字の流用」について、どの程度の共通認識があるのだろうか、ということです。

古活字版を制作する際には、頻繁に出てくる文字は活字の数が足りないこともあり得るわけで、かつ頻繁に出る語なら、読み手の視線は素早く意味を捉えながら滑っていき、文字の細部まで意識せずに読んでしまう、それゆえ似たような形態の活字を「流用」することがあったのではないだろうか、と思うようになりました。若い頃はそれらを「誤り」とか「誤植」などと注記していたのですが、数多くの例を見てくると、ある文字に関しては、植字工が確信犯的に他の活字を流用したのではないかという気がするのです。例えば、

頂→預  鳥→烏  吊→弔  堀→掘  越→赴  練→錦

などは熟語の一部、あるいは文脈の中で置き換えられても無意識に正しく読んでしまう。最も多いのは失→矢です。もしかしたら「矢」よりも「失」で代用している方が多いかもしれません。恕→怒などは、おや?とは思うものの推測はできます。中には「法絶」が「法施」の代わりに使われている例もある。

裏返しに彫刻されている活字を素早く拾っていく際のミスもないとは言えませんが、一人前の職人ならそんなにあることではないでしょう。翻刻の注記には、「誤植」ではなく「活字の流用」と書きたい、読者にどれだけ理解して貰えるかしら、と迷いながら、ゲラをめくっています。