田中大士さんの『衝撃の『万葉集』伝本出現―広瀬本で伝本研究はこう変わった―』(はなわ新書 美夫君志リブレ)を読みました。田中さんとは、2004~06年度科研費(C)による共同研究「汎諸本論構築のための基礎的研究―時代・ジャンル・享受を交差して―」に講師としてお招きして以来のお付き合いですが、正直に言って、当時私には広瀬本の研究上の意義がよく判っていませんでした。
本書は172頁の新書判に収めるべく、問題点を思い切って整理し、細部の論証は省いています。1993年にその所在が世に知られた、天明元(1781)年奥書のある全巻揃いの写本―広瀬本を通じて何が判ったのか、『万葉集』本文の伝来をどのように推測するのかが一気呵成に説明されます。周知のように『万葉集』は、平安初期にはすでに、考証なしには読めなくなっていました。殊に長歌は、すべてに訓をつけたのは13世紀半ばの仙覚でした。広瀬本の訓や題詞の書式を手がかりに、従来の研究を批判的に照合することによって、本文の伝来を中世まで遡ることができたのです。
専門外ですが、元暦校本とか『校本万葉集』とかは大学院時代、五味智英先生のゼミで使ったことを思い出し、改めて諸本研究の歴史と方法について、考えるところがありました。『万葉集』研究では、中世の仙覚の校訂、そして近代の校本作成が、研究史に不動の画期をもたらしたのですね。『源氏物語』でも、池田亀鑑の仕事が永らくそういう位置を占めていました。流動性本文である『平家物語』の場合はどうか―あるべき諸本研究の共通性と対象ごとの相異を、我々は充分理解してきたと言えるだろうか。
ちょうど、伝本評価の視点に関する原稿を1本手放したところで読んだので、タイミングは最適というか、最悪というか―日昏れて道遠し、の感を深くしました。