古記録の歌謡記事

辻浩和さんの「古記録にみる歌謡記事」(「日本歌謡研究」59号 2019/12)という論文を読みました。

中臣祐春の日記『春日若宮神主祐春記』の徳治2年(1307)の記事から、芸能者である盲人女性が早歌を歌ったこと、社司・氏人・神人らが集団でも歌ったこと、武士だけでなく芸能者や地方庶民層がこの時期には早歌を歌うようになっていたことを推定しています。また『兵範記』保元2年(1157)の記事や菊亭文庫本『郢曲』から、12世紀半ばまで多様な場で歌われていた「預こそ」という郢曲が、この頃五節歌謡に取り込まれたことを論証。『吾妻鏡』文治2年(1186)の記事から千葉常胤が、滝口の武士であった息子胤賴を通じて京都の最新の芸能乱舞を知り、頼朝を囲む酒宴で披露して、座を賑わせたりしていたのではないかと推定。さらに賀茂経久の記す『賀茂旧記』から、鎌倉中期には賀茂社の御戸代神事に遊女が参仕しており、その報酬のための「今様田」があったかと推測しています。

最後に、古記録にみえる歌謡の記事から、歌謡を取り巻く社会的環境を明らかにすることができ、歌謡の歌われた場、儀式との関係、流行の過程、歌い手の社会的立場、歌唱行為の社会的位置づけなどが判明してくるとまとめています。

近年の学界動向は、新資料の発掘、殊に神社仏閣に蓄積された資料の紹介に熱心ですが、単に宗教的な事象の記述に留まらず、周辺の社会現象へも考察が広がっていくと楽しいでしょうね。特に芸能史の資料としては宝の山かもしれません。辻さんの、史料を丹念に読みながら芸能史の穴を埋めていく仕事に、期待したいと思います。