谷崎源氏の文体

大津直子さんの「文体を一新する―戦後の国文学者たちと谷崎源氏の交渉―」(「国語国文」7月号)という論文を読みました。谷崎潤一郎が現代語訳した『源氏物語』、いわゆる谷崎源氏と呼ばれるものは①戦前の1939~1941年刊行(旧訳)、②戦後1951~1954年刊行(新訳)、③1964~1965年刊行(新新訳)の3種があり、①は国語学者山田孝雄が、②は山田孝雄と『源氏物語』音読説で有名な玉上琢弥とが校閲し、③は版元が主体となって、現代仮名遣いにより谷崎の死後に完結させたもので、①は戦時中の制約によって原文の一部を削除しており、つまりは②が谷崎の決定稿だそうです。

大津さんは大学院時代から、②の草稿を精査した成果を発表してきました。単なる近代作家の古典享受の研究に留まらず、本論文には重要な問題が詰まっています。まず、山田孝雄や玉上琢弥のような国語国文学の専門家が、作家谷崎の翻訳事業にこれだけ深く関わっていたこと。校閲書き入れから分かる玉上の、文体や敬語にこだわるふかい読み。また①に対する文芸学派岡崎義恵の酷評から知られる文体論(長文の中に据えられた短文の効果は、私も『平家物語』の表現で注目したところです)。

玉上の助言は、戦後を生きる若い読者を強く意識しており、訳業を『源氏物語』の現代への移植と考えていた谷崎は、文を意味上で切り、文末をですます調にするなど文体を一新することになったというのです。

読み応えのある論文で、学問と創作、古典と現代、文体のもつ力など、考えさせられることがたくさんありました。なおp15下段の図は、p16上段の写真と位置を入れ替えた方がよい。p5上段の敬語と流麗さの関係は、もっと丁寧な説明が必要です。2箇所ある「簡結」という語は、原文ママ?ならば要注記。

追記:大津さんから葉書が来て、「簡結」は谷崎が「流麗」の対立語として使用している用語なのだそう。いずれ単著にまとめる予定だそうです(20200915)。