梶の葉

岐阜の中西達治さんから、梶の葉の写真と共に巣ごもり通信が届きました。

[今年の暑さは格別、特に8月中旬の10日間は、「私の灰色の脳細胞」もとろけるような猛暑、全く頭が働かず、熱中症猛暑日、熱帯夜という言葉におどされてぼーっとしている内に日が過ぎていきました。

暦の上はもうとっくに秋、25日は七夕でした。私たちにとって七夕は、「5色の短冊、軒端に揺れる」というイメージですが、古くは梶の葉―天の川とわたる舟の梶の葉に思ふことをも書きつくるかな(上総乳母『後拾遺和歌集』)と、七夕まつりに手向けたとか。俊成はこの歌を本歌にして、七夕の門渡る舟の梶の葉にいく秋書きつ露のたまづさ(『新古今和歌集』)という歌を残しました。蕪村は、梶の葉を朗詠集のしをりかな と詠んでいます。夜、天の川がきれいに輝いて見えました。(中西達治)]

梶の葉は切れ込みが多い、造型的に面白い葉ですが、歌を書くには書きにくそう。何故もっと単純な形の広い葉を使わないのだろう、と不思議でした。葉の色も濃くて字が見えにくいのに。もともと神事と関係があるらしく、紋章にも使われます。気づかずにいますが、案外そこらにあります。桑の仲間は、鳥が種子を落とすのか、都会の植え込みにひょっこり混じって生えていたりして、梶や楮らしい葉も時々見かけます。調べてみると、築地市場の青果仲卸でも扱っていました。季節料理の飾りでしょうか。

私には梶の葉といえば、覚一本平家物語の「かくて春すぎ夏たけぬ。秋の初風吹きぬれば、星合の空をながめつつ、あまのとわたる梶の葉に、おもふ事かく頃なれや」(巻1「祇王」)です。それにしても、美濃国では天の川が未だ見えるのですね。子供の頃は湘南でも見えましたが、もう何年見ていないかなあ。