源頼朝と鎌倉

坂井孝一さんからメールが来て、今夜のBS-ETV「英雄たちの選択」に出ます、とのことだったので、初めて視聴しました。井上章一磯田道史、それに坂井さんはそれぞれ別のスタジオからリモートで、関幸雄さんはオンラインの参加でした。アナウンサーの反応がいま一つしっくりしないのは大目に見るとして、井上さんの話はいかにも京都目線でした(少々軟らかすぎる面と、権力に敏感な面との両様)。

坂井さんの話(番組の基本線でもありましたが)は、その著『源頼朝と鎌倉』(吉川弘文館 2016)に書かれている通りで、坂東武士たちに担がれて開幕した頼朝の苦心と意図が、鎌倉の都市造りや永福寺建立などに顕れているとのこと。

名古屋に勤めていた頃、夏休みにゼミの学生を連れて、鎌倉へ行き、ちょうど発掘調査中だった永福寺跡を見学しました。軍記の会で知り合った菊川泉さんが親切に案内してくれて、頼朝の企図した大寺院の庭園がイメージできました。ゼミ生の中には考古学に憧れていた子もいたのですが、発掘調査は秋冬を避けて真夏の暑い時が多いと聞き、現場を見て、すっかり自分の甘さを反省したようでした。私は、庭園に引き込まれた水辺に今も芹や苧麻が茂っているのを見ながら、植物相を通して、鎌倉時代につながる時空を体験したような気になりました。

頼朝が父義朝のために建てた勝長寿院も、大倉御所も今は残っておらず、往時の新興都市鎌倉の威風を、現代の私たちが偲ぶことは難しい。しかし読み本系平家物語が、囚われの重衡が頼朝に引見される場面で、御所の間取りや寸法を詳しく記すのは、あながち舞文ではなく当時の衝撃を伝えているのかなあ、などとぼんやり考えました。東国の情報は、どの程度まで生で伝わっていったのか、などと。