信濃便り・母の日篇

長野の友人から、お母さんの四十九日法要と納骨を済ませたとのメールが来ました。曾孫も含めて一族でお参りした後、マスク姿で集合写真を撮り、お供えした柏餅(長野の節句は旧暦)を分け合って食べたとのことです。

長野はいま新緑の中。玄関先の小庭には苧環が咲いているそうです。東京では紫蘭が盛りですが、彼地ではこれかららしい。よく見ると菫も咲いています。この窓の奥に、お母さんの部屋がありました。

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庭先の苧環

[10日ほど前に母の夢を見ました。私が授業をしていると、母がやってきて、「ちょっと出かけてくるから」と言うのです。「え?どこ?」と聞くまでもなく、夢は終わってしまいました。ふくよかな顔で、背筋もピンと伸びた、若いころの母でした。忘れないように起床直後、妹に話すと、「よかった!おばあちゃんは元気なんだ」と言うので、私も「そうなのよ。おばあちゃんは元気だったよ」と答えました。妙なやり取りでしたが、2人ともほっとしました。]

笑い話のようですが、家族を見送った後はほんとにこういう気持ちです。どこかで元気にやってるはず、会えないけどー私もそうでした。フレイルの数値ですべてを割り切れる人から、終末期の看取りを一律に決められたくない。

今日は母の日。母はいなくても、母です。