日本文学論究79

伊藤悦子さんの論文「『耳川合戦図屏風』と『平治物語絵巻』「六波羅合戦巻」ー粉本の視点からー」(「日本文学論究」79)を読みました。合戦図屏風では『平家物語』『曽我物語』などが題材としてよく取り上げられますが、本論文は、時代の異なる合戦を描くのに平治物語絵巻が利用された例を検討しています。

耳川合戦は天正6年(1578)、豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久日向国で戦って、島津氏が勝利した合戦ですが、この戦いを描いた8曲1隻の屏風が、現在、相国寺に伝わっています。江戸時代、島津氏が狩野派の絵師に描かせたものとされています。

本論文によれば、この屏風絵を描くに当たって、平治物語絵巻の六波羅合戦巻が粉本として利用された例は、少なくとも20箇所以上指摘することができ、物語本文や先行する類似作品がなくて屏風絵を制作する際に、絵師は粉本をどのように利用したのかを知ることができます。例えば集団ごと画像を流用したり、左右を反転させたり、武具など一部を改変したり、一つの画像をコピーして複数化したりしているが、この屏風の場合、もとの画像の持つ象徴的意味は捨象されており、戦闘場面を描く際の絵手本として利用されたことが分かります。またこの時期、九州地方に平治物語六波羅合戦絵巻がある程度流布していたことも分かとしています。

本誌にはほかにも伊藤愼吾さんの「『玉藻の草紙』と犬追物起源譚」、三田加奈さんの「修験と儒学者海尊伝説ー下北半島および一東和尚をめぐってー」、野中哲照さんの「具象から抽象へー『平家物語』巻七「忠度都落」のことなどー」(シンポジウム「日本文学と〈地図〉」)等々、読み応えのある論考が載っています。お問い合わせは國學院大學国文学会03-5466-4812まで。