喜劇役者

北大路欣也の「剣客商売」を視ながら、晩年の藤田まことを思い出しました。「あったりまえだのクラッカー」と叫びながら壁を破って登場する三度笠姿で売り出していた頃は、駆け出しの喜劇役者(当時は「お笑い芸人」という語はない)とみなされていたと思います。晩年、「必殺仕事人」を演じ、哀愁と凄味と軽みのある、独特のキャラクターを作り上げました。彼に比べ、どうも北大路の秋山小兵衛は眼光が鋭すぎる。原作は週刊誌の連載を偶々読んだくらいなのですが、あの飄々としたアウトローは、藤田の方がさまになっていたと思いました。北大路では、江戸の粋と野暮の中間にある軽みが出ないのです。

テレビ東京が制作した開局50周年記念ドラマ(「アメリカに負けなかった男」)で、笑福亭鶴瓶吉田茂を視た時は、渡辺謙もこの人物を演じたことを思い出しました。渡辺謙では吉田茂の英国仕込みのユーモアや皮肉が出ない。しかし鶴瓶では、外交官育ちの贅沢感が出ない(尤も制作者は、長期政権の座の魔力にぼろぼろになってしまったワンマン、という意図を籠めていたようで、それもこの人を主役に立てた理由だったかもしれません)。

かつては喜劇役者と漫才師、タレントは別物でした。最近はテレビ番組の何にでも同じ人が顔を出しており、彼らを一括できる職業名は「お笑い芸人」なのらしい。スタジオに並んでいる顔ぶれだけを見ても、どういう番組なのか分かりません。お笑いをやっている中にドラマ出演の声がかかり、ブレイクすれば役者になっていく、という商業的コースがあるようです。彼らの中の何人が、晩年になって、あの人にしかこの味は出せない、と言われるようになるのでしょうか。

渥美清浪花千栄子もいなくなり、フランキー堺も、津川雅彦も世を去りました。