体験的電子事情・その後

昨日の朝、PCが凍結しました。ファイルが何も開けず、このところ、メールとレターパックで33人分の校正をやりとりしている最中だったので、慌てました。とりあえず古いPCを起動しましたが、送信済みのメールは読めず、書きかけの原稿も開けず、おろおろ。一昨日の晩居眠りしながらブログを書き、メールを閉じ忘れて終了したかもと思ったのですが、アウトルックの起動を急ぐとよくあることだそう。

とりあえず強制終了して1昼夜放っておいたら、何と直っていました。あれこれいつもと違う反応をしながら立ち直るのが、拗ねているようで可笑しい。ともかくもほっとしました。進行中の仕事に関するファイルは、モバイルの記憶媒体にも保存しておかなければ、と反省しました。久しぶりに開けた旧いPCは文字も大きく、アイコンにもよけいな情報がなく、使いやすい。しかし慣れなければいけないのでしょう。

大学図書館の閲覧者検索用にいち早くノートパソコンをレンタルで取り入れたのは京都大学でした。当時、PC検索といえば武骨なデスクトップが並んだ、いかめしい雰囲気だったのに、京大では、低い卓上に蓋を開けたノートパソコンが点々と置いてある、という光景で、しゃれてるなあ、と思いました。東大図書館はカウンター前の薄暗い机上にデスクトップが数台あり、恐る恐る検索しても(こちらはもう中年の卒業生です)、一向に出てこない。そのうち後ろに学生が並んでしまう。あっ、ごめんなさい、私の操作が悪かった、と起ち上がってふと振り返ると、画面に検索結果が出ている、という状態でした。

もう、原稿書きにも校正のやりとりにも、PCなしでは何も出来ない時代になりました。機械の構造を知らずに使っているので、不具合が起きる度に自分の落度かと慌てます。正体を知らずにお世話になっている、という関係だからです。やれやれ。