トマト

現代のトマトは匂いがありません。あるよ、と言う人は、かつての(本来の)トマトの臭いを知らないからです。買い物から帰ってきた家人が通ってきた道を言い当てることができる(あ、今日はトマト畑の傍の道だったね)ほどでした。

子供の頃、井戸水で冷やしたトマト1個がおやつ、ということはよくありました(塩をつけることもあった)。草いきれの中、友達と2人で囓った後の蔕をぽーんと線路へ放った(家でそんな真似をしたら叱られる)のは、今でも楽しい思い出です。

戦後の食料自給の時代でしたから、裏庭や垣根の周辺はいろいろな野菜栽培で一杯でした。母と祖母が赤と黄色のトマトをそこら中に植えて、実が出来すぎ、近所に分けても余ってしまい、一夏、トマトのざく切りとぶっかき氷どんぶり1杯がおやつだったことがあります。色も綺麗だし、当時としては贅沢品だった砂糖も入れてあったのですが、さすがに毎日では飽きる。しかし、トマトは連作ができません。1年目にあまりたくさん作ったので、2年目は植える所がなく、正直ほっとしました。

今ではトマトは甘くなり、砂糖は不要です。デパ地下へ行けば、様々な色と形のトマトが山のように並んでいます。かつてのトマトは堅く、小さく、でこぼこで、酸っぱいものでした。黄色い小さな花にも枝にも、がじがじと棘が生えていて、可愛気がない。でも、おかっぱとえくぼの愛らしい同級生と、廃墟になった軍需工場跡の土台に腰掛けてトマトを囓り、線路に汽車が来ないのを確かめて蔕を投げた晩夏の思い出は、童話の中の1齣のように、今も鮮やかです。