箸尾弁天縁起

辻浩和さんから、大和国広瀬郡箸尾弁財天の縁起集『瑞夢記』(大福寺蔵)に関する論文(「大福寺所蔵『瑞夢記』について」日本文学研究ジャ-ナル10)と、『瑞夢記』の中巻第5話「遊女梅王蒙御利生事」の翻刻が送られてきました。『瑞夢記』は、奥書によれば応長2(1312)年に編纂され、文安元(1444)年に書写されているが、その中に平家物語灌頂巻を踏まえたらしい表現があるので、とのお手紙がついていました。

なるほど、中巻第5話中、宇治に住んでいた遊女梅王が、男に拐かされて小原の里のあばら屋に連れて行かれる箇所には、「彼建礼門院女院ノ住セ給ヒケル小原ノ奥、セレヲ(芹生)ノツヽキ、寂光院ヘマイリテ見レハ」「軒端ニハシノフマシリノワスレ草ノミシケリ」などとあって、覚一本平家物語灌頂巻の一節を引いています。完全な同文ではありませんが、「比ハキサラキノ二十日余ノ事ナレハ、カスメル空ノ月ニモ」云々の部分も、覚一本平家物語の巻10「横笛」を踏まえていると言えるかも知れません。

本話が書写時の増補でなく、応長2年の編纂時に録されたとすれば、語り本系本文の比較的はやい例と数えることができます(なお古態本とされてきた延慶本や屋代本を見ると、巻10,巻12とも表現がやや異なっています)。

辻さんの論文の目的は遊女の生態を探ることにあるのですが、こういう思いがけない資料から、平家物語の中世的享受が知られるのも芸能史の面白さでしょう。史料操作のきっちりした辻さんが、断片的な情報を蒐めて、いつの日か平家物語の成立と享受を論じて下さることを期待しています。