雲の美しい夏、というものがあるようです。1999年の夏、放射線治療を受けていた父が入院する川崎へ向かう高速道路の空に伸びる雲が、鮮やかでした。今年はどうしてこんなに雲が美しいのだろう、と思いました。2012年の晩夏、壇ノ浦の赤間神宮を訪ねた時、空港へ走るバスの窓から、関門海峡を跨ぐ雄大な雲に見とれました。

幼年時代、父と散歩しながら、雲の名前を訊いては教えて貰いました。どうしてあんなに雲に詳しかったのかと思いますが、当時、岩波写真文庫というシリーズがあって、その中に『雲』という1冊がありました(1951年 阿部正直監修)。いま見ても白黒写真の美しさと、簡潔な解説とがよくできたブックレットです。

6歳の秋から骨の病気で寝たきりになり、日光浴をしながら、空行く雲がさまざまな形になり、ほどけていく一部始終を眺めました。石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』という児童小説(1951年 光文社)を、親戚が送ってくれたのですが、乱丁があって(当時の書籍にはよくあった)、それに気づくまで筋の分からないままで読んでいました。ベストセラーになり、人気タレントだった鰐淵晴子主演で映画化されましたが、原作はふつうの家の子供が、ふつうの学校生活で出会う、ちょっとした違和感が、雲に乗るという別世界を体験することによって新しい角度から見えてくる、というところがミソなので、バイオリンを弾く主人公という映画は別物でしかありませんでした。

都会で慌ただしく働いている間は、雲の写真集のカレンダーを机の脇に掛けることで満足していましたが、最近はカレンダーの図柄が犬猫ばかりになり、入手できません。海か草原か、雲のたたずまいを眺めて暮らせる別荘は、もはや叶わぬ夢です。もう一度、湘南の水平線に沸き上がる入道雲や、初秋の鱗雲や巻雲を見上げて暮らしたい。