2人の草分け

学部の近代文学の授業は、自然派と反自然派の二つの特講があるだけでした。隣接の大学へ、憧れの吉田精一先生の授業に潜ってみたりしましたが、4年次の後期に突然、三好行雄先生の演習が開講されることになりました。同級生で近代の卒論を書く人は1割しかいませんでしたし、必要な単位は取り終わっていましたが、みんな、近代の演習ってどうやるんだろう、という好奇心には勝てませんでした。助手になっていたOGも一緒に、受講しました。

題材は森鴎外の「舞姫」。それまで演習は厳密な訓詁注釈でしたので、手分けして徹底的に調べ上げました。いよいよ明日発表、という晩、誰かがふっと言ったのですーねえ、近代の演習ってこういう風じゃないんじゃない?しばらく沈黙があった後、ともかく明日はこれでやるしかない、ということになりました。翌日、発表の間も後も、先生は一言も言われませんでした。

そもそも初めて教壇上に現れた時、もみあげを伸ばし、黒眼鏡で、何も知らずに池袋で遭ったら避けて通るようなスタイルでしたから、聞き返すこともできません。その後、著書を読み、大学院でお会いして、独特のかっこよさを満喫しました。近代詩前史の特講を聞き、演習は幸田露伴でした。午前中の授業なのですが、いつも酒の臭いがしていて、最前列に席を取ると、先生の吐く息で酔ってしまいそうでした。

大学院では、何とあの吉田先生もおられて(艶笑譚がお好きでした)、演習は齊籐緑雨の注釈、明治文学全集のための作業だったらしい。初めて見る、明治の女の衣装や小物(その描写によって女性の素性が分かるはずなのです)に、どうやって注をつけるか。ここでも訓詁注釈の経験に則って、当時の小説を片端から読み、同じ物が描かれている用例を捜し、切り抜けました。

後年、三好先生を鳥取大学の集中講義にお招きした時、やっと、20年前の鴎外の演習の感想を聞きました。とにかく吃驚していたんですよ、とのことでした。