大名邸での生産活動

小寺瑛広さんの「旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)における生産活動」(「國學院雑誌」5月号)というレポートを読みました。徳川昭武(1853-1910)は最後の水戸藩主で、その私邸の戸定邸松戸市にあり、庭園は国指定名勝となって、作庭当時の姿に復元、保存されているのだそうです。

江戸時代の大名庭園は、儀礼と交際、饗応のための空間であり、農作物や園芸植物、陶器などの生産活動の場でもあった、明治になり、華族制度になってもその性格は受け継がれていた、と小寺さんは書き起こします。じっさい、御庭焼として「戸定焼」が多数作られて、主に植木鉢や贈答用品として使われ、万年青(オモト)、蘭、朝顔、仙人掌(サボテン)などが育てられて、室礼や贈答に使われたようです。

昭武は広大な土地を所有しており、そこで果樹や農作物を栽培させていました。柿、石榴(ザクロ)、橙、葡萄、栗、夏蜜柑、梨、大根、葱、茶、トマト等々の記録があるそうです。仏蘭西から、複数の品種のメロンの種を取り寄せて、栽培したりもしたらしい。さらに養蜂、孔雀や小鳥の飼育もしていたようで、写真好きの水戸家ゆえ、殿様自ら撮った写真がたくさん掲載されています。これらは地域の農産業育成のためもあり、ワイン、トマトジュース、メロンなどは西欧文化への憧れもあったのではないでしょうか。

院生時代(50年前です)、水戸の彰考館へ調査に行った時、3時のおやつに、茹で栗を出されました。大粒の、見事な栗でしたが、なぜか1つ残らず虫食いの孔が空いている。私たちが変な顔をしたのでしょうか、職員から「庭の栗は殿様にお送りするのですが、虫食いだけは私たちで食べてもいいことになっています」と言われ、吃驚したことを思い出します。