おみくじの歌

平野多恵さんの『おみくじの歌』(笠間書院コレクション日本歌人選)を読みました。平野さんは中世和歌の専門家ですが、おみくじや歌占を研究すると共に実践(実際にある神社の歌占も作ったらしい)活動もしている、元気な人です。歌占が研究対象になるの?と思われるかもしれませんが、神託は和歌で告げられることが多かったし、勅撰集には神祇の部立がありました。和歌文学研究では、れっきとした一分野でもあります。

本書はシリーズで出されているので、50首の歌を選び、見開き2頁で解説する、という型式が決まっています。通勤電車の中で読んだりするには便利ですが、この場合、写真中心にシンプルな解説をつける、というレイアウトでやって欲しかった気がします。おみくじは、デザインそのものが一つのメッセージでもあるからです。

平野さんはおみくじの歌を叙景歌・叙情歌・教訓歌・神話歌・漢詩翻訳歌の5つに分類していますが、本書を読んだ感じでは、古歌利用と教訓歌とに2大別できると思われます。江戸時代後期にはさまざまな歌占本が出版されたそうですが、現代のおみくじは明治維新廃仏毀釈以降のものだとのこと。和歌は多層的な意味を含むので、複数の解釈ができ、読者が勝手に解釈したり、思いがけない教訓に結びつけることができ、占いには最適の表現媒体なのだという説明には納得しました。

気になったこと―①No20の新古今歌299の第5句は「心を付くる」でしょう。「作る」ではない。②No39の第5句の仮名遣いは、「ひかげさしそふ」。③No48第2句、「淋しくもあるか」の「か」は感動助詞で、疑問ではないと思います。④No35の初句の「なる」は伝聞の助動詞ではないかと思いますが、そうするとうまく解釈できません。断定なら「なり」とあるべきだと思うので、悩んでいます。どうでしょうか。