待ちわびて

九段の桜が咲き、東京の開花宣言が出てから、毎朝、長泉寺へ咲き具合を見に行きます。山桜、染井吉野、八重桜と3本ある桜の咲き具合です。今は辛夷木瓜が満開、老木の山桜が1分咲き。先代住職の奥さんの話では、終戦の焼け跡にあったのは若木の山桜だけだったそうで、あとは戦後に植えたのだとか。これから播磨坂や教育大跡地、大塚駅前の並木、伝通院や東大構内の枝垂桜、赤門と法真寺(一葉ゆかりの寺です)の八重桜・・・と、日を逐って忙しく見て歩きます。

桜だけではありません。児童公園に区が植え込んだ馬酔木や、マンションの植え込みに楊梅の雄木の花も見つけました。楊梅の濃紅の花は、気がつけば風情のあるものです。

我が家ではビオラやパンジーが山盛りに咲いていますが、待っているのは菫の芽生えです。あちこちの路傍から実を採取してきて播いたので、少なくとも3種類はあるはず。菊坂下のバス停に白菫が咲いていて、狙っていたのですが、区が舗装を改修する際にアスファルトで塗り込めてしまいました。今も土の下に種子が眠っているのが幻想されます。

大島桜の芽がほぐれるのも、どきどきしながら待っています(大島桜の蕾は染井吉野と違って、嫩葉の中に包まれているからです。去年は咲いてくれなかったので、よけいはらはらします)。続いて石榴の芽、薔薇の芽、素馨(ジャスミン)の蕾・・・時間が未ださきへ続いていくと信じて日々を暮らしている人間の営みは、天上から見たら愚かなものかもしれません。平家物語ならそういう時、「はかなかりけるかねごとかな」と言うでしょう。