湯島をめぐる会話

昨日、税務署の順番待ち行列で、見ず知らずが交わした会話―私の前に2人のおばさん、後ろに1人のおばさん、その後ろにおじさん(女性たちは60代、男性は70代と見受けました)。いずれも自営業らしく、男性はもと煙草屋で、スキーが趣味、と自己開示し、今でも月1回は越後湯沢で滑りまくる、と傍を羨ましがらせました。

前の女性2人は湯島あたりに住んでいるらしく、湯島はもとは田舎(そう言えば、池波正太郎の小説では隠居所か妾宅のある所です)、以前は湯島に住んでいると言うとあまりいい顔をされなかった、と謙遜し(戦後は、ラブホテルが林立した時期があった)、そして、最近は老人ホームなんかが建って、変わってきた、と2人の間で頷き合いました(区が近年、特養ホームや地域包括ケアセンターを置くようになったのです)。男性は、最近は区内はマンションだらけになった、湯島も、と、やや慨嘆ぎみにコメントしました。

私は先週、観梅に出かけたが大賑わいで、鴨鍋店には入れなかった話をしました。梅見の時は未だましで、初詣はあんなもんじゃない、とのこと。NHKが朝の中継をしたそうですね、と言ったら、嬉しそうに肯いていました。太宰府には梅ケ枝餅があるが、湯島天神には名物の甘い物はないのかと訊いたところ、しばらく考えて、近くの和菓子屋の名を挙げましたが、江戸っ子だという男性は、うさぎやだ!と言い、女性たちも同意。私は子供の頃の記憶で、うさぎやと言えば半径20cmもあるどらやきの店、と思い込んでいたので、その話をしてみたのですが、誰も知りませんでした(店のHPにも載っていないところを見ると、特注品なのでしょうか)。

30分足らずの間に、見知らぬ同士が交わした会話ですが、どうやら私はマンションか老人ホームの住人(つまり、よそ者)、と見られたらしい。湯島も、この半世紀に何度も変わり、私の眼にも、そのときどきの歴史が残っていました。