二代の雛

雛人形を仕舞いました。大小いろいろな人形の中から、今年は2組選んで飾ったのですが、もうそんなに永く飾れないのだから、来年からは手間を惜しまずに出してやろうと思いました。

紙と土と、竹や藁で作った山陰地方の流し雛もあります。もともと祓の人形(ひとがた)から始まったので、今でも、桟俵に季節の花と共に乗せて川に流す行事もあります。しかしそういう雛は、自然に返る素材で作られています。人形メーカーが、お守りや御札の使い回しにたとえて、雛人形を一代ごとに買い換えるよう勧めているHPを見て、白けました。不用になった人形は45L(ゴミ袋の容量)につき¥3000で、決められた日に決まった神社へ持参せよとあり、いささか憤りも感じました。それならあのような豪華な、高価な人形を作らず、流し雛を売るか、買い換え・下取り制度を始めたらどうですか。

現代では流し雛の民俗と、飾り雛は別物です。後者は、やはり親子代々引き継いでいくものでしょう、真珠や振袖の晴着と同じように。不用になった雛人形を何百組と集めて飾る催しには、どこか悲しみがつきまといます。喪われた物語が背後にあるような幻想が浮かぶからです。

母の内裏雛は、木箱にしまったままになっています。もう100年以上経ち、天袋の中にあった間に鼠に顔を囓られたらしく、ぼろぼろです。半世紀の間、学生時代も教師になっても、この時季は雛人形の出し入れどころではなかったのです。定年後、いちどは人形メーカーに修理を頼もうかと考えたこともありましたが・・・我が家の断捨離を始めたら、真先に供養をしなくてはなりません。亡母に謝りながら。